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2020年4月17日 ゲスト・柳田ヒロ(元ザ・フローラル、エイプリル・フール他)~前編~


【放送内容】

*1968年、GS《ザ・フローラル》でメジャーデビュー後、1969年にセッションを通じてメンバーが集結したバンド《エイプリル・フール》に参加。同年、ロックミュージカル「ヘアー」でキーボード奏者を務める。以後、セッションミュージシャンとして数多くのプレイヤーと共にステージに上がる。その一方でアレンジャー&プロデューサーとしても活躍。


*60年代はまだ「ライブハウス」というものがなく、アマチュアのロックバンドにとって主な演奏の場はダンスパーティーだったことから、フローラルを始め当時のロックバンドは《パーティーバンド》と称されていた。

*パーティー・コンサートの企画や出演者のコーディネイトを行っていたのは、大学生などが中心となり立ち上げた企画団体。ヒロさんの兄・柳田優氏が立教大学の同級生と企画するコンサート「PEEP」や、慶応大学の「風林火山」(高橋信之、景山民夫他)などが、後に70年代以降の日本のロックを確立していく多くのミュージシャンたちの、キャリア開始の足掛かりになっていた。


*1968年にマイク・ブルームフィールド、アル・クーパー、スティーヴン・スティルスが発表したアルバム「スーパーセッション」の影響で、対バンとなった複数のバンドが、バンドの枠を超えてセッションを試みる流れが始まった。その流れから誕生したバンドが《エイプリル・フール》だった。








【エイプリル・フール】

松本零(松本隆):ドラムス

細野晴臣:ベース

菊池英二:ギター

柳田博義(柳田ヒロ):キーボード

小坂忠:ボーカル

(以上、画像左より)








【エピソード】

*GSとしてデビューする前のフローラルがPEEPなどで対バンだったのが、当時高校生だった昌和氏のバンド《ブッダーズ・ナルシーシー》。ヒロさんとの関わりは、昌和氏中学3年生にまで遡るのだとか。

*当時は今以上に楽器が高額な時代。そのため、この時期ロックをやっている連中は大抵が「お金持ちの坊ちゃん」。

*《エイプリル・フール》に端を発する日本語のロック。松本隆・細野晴臣らがいかに普通の日本語をロックに乗せるかを追及し、「です」という語尾がロックの歌詞になり得る域に到達した。

*今や日本のポップス界における<大作詞家>となった松本隆氏だが、歌もドラムも巧いミュージシャンだった。その彼が後年作詞家にシフトしていったのは、ギタリストのようにフロントに立つ奏者と違い、後ろから「相対的な視点」でバンドを見るドラム奏者の特性も理由の一つではないかとヒロさんは分析する。



【使用楽曲】

♪ビートルズが教えてくれた(よしだたくろう/編曲・柳田ヒロ)

♪When the music’s over(ドアーズ ライブ)








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