【放送内容】
*小原礼、その音楽暦は4歳の時に始まる。クラシックピアノをいやいやながらも6~7年習っていた。音楽へのモチベーションが大きく変わるのは小学校高学年の頃、ビートルズブーム。ホウキをギター替わりに、まずはスタイルから夢に近づき始めた。
*影響を受けたのは6歳年上の兄。ハンク・ウィリアムス、エルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー……。兄のレコードやFEN放送を小学生時代から日々耳にする環境にいたのだった。
*やがて本物のギターを手にした小原さんはベンチャーズをギターでコピーし始める。
「だいたいベーシストの人って、最初ギターなんだよね」(東郷昌和)
「自分よりうまいギターを見つけて、そいつに託してベースに行く…」(小原礼)
*中学時代に同級生の林立夫らとバンド≪ムーバーズ≫を結成、細野晴臣らが主宰する「PEEP」のオーディションを受ける。同じオーディションを経て「PEEP」主宰の音楽パーティーに共に出演した≪CIA≫のギタリストが鈴木茂だった。
「その時茂を見てて、『ギター巧いなぁ、オレがやっている場合じゃないなぁ…』って」(小原礼)
*その後、小原礼・林立夫そして鈴木茂で《スカイ》を結成。同様にパーティーバンドで活動していた東郷昌和に、細野氏が「すごいバンドがいる」といって《スカイ》と引き合わせたのはこの頃。青山学院の文化祭に出演した《スカイ》を観に行った折だった。
*尚《スカイ》は2019年に再結成。新たに松任谷正隆をメンバーに加え、佐野史郎のアルバム制作に携わった。年末の紅白歌合戦で松任谷由実のバックバンドも務めている。
2018年小林啓子コンサートにて、中央・小林啓子、その右・小原礼、他、鈴木茂、高橋幸宏、林立夫、東郷昌和ら。
*《スカイ》のあと、小原さんは高橋幸宏と共にCS&Nのカヴァーに取り組んでいた。その折に出演した学園祭で《GARO》と知り合う。
「それで『巧いなぁ、オレらがコーラスやっている場合じゃないなぁ…』って」(小原礼)
半ば強引に《GARO》にベースとドラムでのサポートを申し出、後年ライブ音源などに、そのコラボレーションの成果を残していく。
*その一方で、個人的に交流があった〈トノバン〉こと加藤和彦の依頼で、吉田拓郎の「結婚しようよ」のレコーディングに林立夫・松任谷正隆とともに参加。また既にバンドを結成、シングル「サイクリング・ブギ」でデビューしていた《サディスティック・ミカ・バンド》から、ドラムスが自分のバンド結成を理由に脱退することとなり、アルバム制作に苦慮した加藤氏からの要請で小原さんは盟友・高橋幸宏と共に加入、このメンバーが後に名盤「黒船」を生み出していく。
*ちなみに上述の脱退したドラマーは、つのだひろ(現・つのだ☆ひろ)。初のリーダーバンド《キャプテン・ひろ&スペース・バンド》も、ライブを中心に人気を博していく。
*様々なミュージシャンとの関わり合いの中でキャリアを積み、日本の名ベーシストの一人となった小原さん。近年は屋敷豪太とのユニット《The Renaissance》他複数のユニットなどで音源制作やライブ活動を展開中。《The Renaissance》は2枚目のアルバム「ROCK STEADY」を2019年9月にリリースした。
【エピソード】
*高校時代から交流があった東郷昌和と小原礼、二人がプロとして最初に本格的に組んだ仕事はBUZZのファーストアルバム(1973年)。ベースのみならず、ジャケットのふたりの似顔絵も小原さんが描いたもの。
「これ、何気なく我が家でドンチャン飲りながら、急に描いたのね。で、あまりに似ているので、『これジャケットにしよう!』って」(東郷昌和)
*夫人の尾崎亜美の料理の腕前には定評があり、料理本「尾崎亜美のおうちおかず」が大手出版社より発売された際には、小原さんが監修を担当。
「僕がメニューを書きためていたんです」(小原礼)
*60年代終盤のアマチュアバンド、いわゆる「パーティーバンド」が演奏するのは海外曲のコピーが主だった。
「パーティーバンドといっても、《フローラル》は「When the music’s over」(ドアーズ)演ったり、僕らはヴァニラ・ファッジ演ったり、全然もうやりたいことやっていた」(東郷昌和)
「細野さんにもよく言われていたんですよ、『高校生のくせにサイケデリックやっている』って(笑)」(小原礼)
*コピーと言いつつも選曲や演奏にバンドの持ち味を表し、技術や感性を磨いていく。その積み重ねがプロに転じたときに開花・結実していったものが、現在観客が〈レジェンドの仕事〉として観聴きしているものと言えるだろう。
【使用楽曲】
♪オハイオ(ガロ+小原礼+高橋幸宏)※1971年ライブ
♪サイクリング・ブギ(サディスティック・ミカバンド)
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