2021年1月1日 ゲスト・尾藤イサオ~第1話~


【放送内容】

番組冒頭にご紹介したのは、2019年12月のライヴ映像。<グルーサウンズフェスティバル2019>でエルヴィス・プレスリーの「ハウンド・ドッグ」を熱唱する尾藤イサオさんの姿だ。実は尾藤さん、この日は出演者として来ていたのではなかった。その少し前、内田裕也氏の告別式で会った元アウト・キャストの大野良治氏(GSフェスティバルプロデューサー)に招待され観に来ていたのだが……。

「じっとしていられなくなって、急遽飛び入りで。僕はどちらかというとGSではなくロックンロール、エルヴィスの方なんですけど、袖で観ていて、もうじっとしていられなくて(笑)」(尾藤イサオ)

レイアウトをバックにぶっつけ本番のハウンド・ドッグ。客席が歓喜に沸いたのは言うまでもない。


グループサウンズのミュージシャン達から見て先輩格に当たる尾藤さんは、1943年、台東区・御徒町の生まれ。父は百面相芸人の松柳亭鶴枝、母は義太夫の下座(三味線奏者)。そして尾藤さん自身も10歳にして太神楽の鏡味小鉄に入門、5年の奉公と礼奉公1年の計6年、曲芸師の修行に励み続ける。

この間に尾藤さんは、海外公演も経験している。1960年6月、<ジャパニーズ・スペクタキュラー>と銘打つ、和楽器演奏や剣劇、そして曲芸などの演目を揃えたショーのメンバーとして、アメリカ公演が予定されていた

その出発の2日前に事件は起きる。当時の大統領・アイゼンハワーの来日日程協議のために訪日したスポークスマンのジェイムス・ハガティが、安保反対派に羽田で包囲され投石などを受ける、いわゆる「ハガチー事件」が発生。<ジャパニーズ・スペクタキュラー>はアンカレジ経由でアメリカに渡ったものの、現地での反発から取りやめになった公演もあった。そしてカナダ・ウィニペグに移動して公演を行う。日系移民が多く住む同地では、経費に余裕がないため宿泊はメンバーが分散し現地の日系人家庭にホームステイだったという。

十代で北米大陸でのショー出演やホームステイまで経験した尾藤さん。伝統芸能の世界からロックンロールへのシフトのきっかけとなる出来事も、やはり中学生時代だった。

「エルヴィス・プレスリーと出会っちゃったんですね(笑)。師匠の家からお使いにでて、帰り道にどこからか ♪Well since my baby left me~♬ って音が聞こえて来た。僕はもちろんプレスリーのプの字もわからないんですが、何なんだこの音は~??と思ってあたりを見てみたら、日本そば屋さんの中のラジオから流れて来ていたんです」(尾藤イサオ)

その後50年超に及ぶロックンロール人生のドアが突然開いた瞬間だった。

「エルヴィス・プレスリーの影響を受けた人たちは世界中に。歌は国境がないですから。共産圏も何もないんですよね。みんなエルヴィス、エルヴィス…ですから」(尾藤イサオ)

「ビートルズだってそうですから(笑)」(東郷昌和)

「当時のラジオの『ユア・ヒット・パレード』などでいずれ耳にしたんでしょうけど、あの日の日本そば屋さんから聞こえた『ハートブレイク・ホテル』がなければ僕はあのままずっと曲芸師を続けていたかも知れない。そのくらい衝撃を受けて、もう全身シビれちゃって」(尾藤イサオ)

「『ハートブレイク・ホテル』は頭のインパクトが凄いですからね。これが『ブルーハワイ』だったらまた違うハナシになっていたかも知れない(笑)」(東郷昌和)







【使用楽曲】

ハウンド・ドッグ(尾藤イサオ+レイアウト・ライブ)

♪ハートブレイク・ホテル(エルヴィス・プレスリー)














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