2020年6月19日 ゲスト・鈴木康博(元オフコース)~後編~


【放送内容】

*1982年、オフコース・武道館公演10日間。このコンサートをもって、鈴木康博はオフコースから脱退した。実は脱退を申し出てからこの武道館公演までは3年をかけていた。最後の10日間で盛り上がり、ファンに「ありがとう」の気持ちを伝えてオフコースでの活動を締めくくる。それが、オフコースを離れる鈴木さんの思いだった。

*《オフコース》のメインパーソンの一人が、バンドを脱退する。それは日本のポピュラー音楽の在り方の変化~産業化~が描いたシーンの一つだった。かつては「ヒット曲」はベテランの〈先生〉が書く歌謡曲の世界でのみ生まれるもの。フォークやロックの世界では、シングルヒットがなくても観客動員力があったり、ステージそのものが楽しかったりといった多様な魅力をもつ、ミュージシャン主体のマーケットが動いていた。しかし70年代に入りBUZZの「ケンとメリー」を皮切りにフォーク・ロックの中からも「ヒット曲」が生まれ始める。70年代後半にはその数も増え、「君の瞳は一万ボルト」(堀内孝雄)や、オフコースの「さよなら」を始め〈誰もが知る〉シングルヒットが次々に現れる。その結果フォーク・ロックの世界もいつしか、一般受けを狙いシングル盤の売上枚数を競いあう流れに変わっていた。

*「作家」の部分と「プレイヤー」の部分を分けて考えていたBUZZと対照的に、オフコースは小田和正・鈴木康博のオリジナル性に重点を置いていた。

「初期のころは加藤和彦さんや東海林修さんにも書いてもらったけれど、売れなかった。自分たちの思いを歌にしていかないと、オリジナリティーを作っていかないとヒットに繋がらないのではないか…というところで、改めてバンドとしてスタートところがあるので」(鈴木康博)

スタートから10年の間に、時流の変化の中でいつしか「ヒットメーカー・オフコース」に変容していたこのバンドに求められていたのは<小田色>。他の色を塗る余地はない。この先も音楽の作り手として生きるためには「土俵を変えるしかない」と鈴木さんは思い至った。

*ソロ転向から三十数年。所謂「バブル経済の崩壊」の時期には、多くのミュージシャンが予算を失ったレコード会社から専属契約を解かれる事態が起きた。鈴木さんもその波からは逃れられなかった。インディーズという言葉もまだ浸透していない時期。それでも音楽を作り続けるかという自問を経て、鈴木さんはメジャーレーベルに頼らない音楽づくりに踏み出した。ソロ活動の一方で2000年に細坪基佳(元ふきのとう)山本潤子(元赤い鳥・ハイファイセット)と共に結成した《Song for Memories》は10年に渡り活動を続け、2016年には林家木久扇ファミリーと共に「木久ちゃんロケッツ」として「空とぶプリンプリン」をリリースした。

*今年はデビュー50周年。日本各地でのライブツアーも計画されている。東京はバンドスタイル、地方ツアーはギター1本での弾き語り。「弾き語りの方が『言葉が引き立つ』ように感じる」と語る、50年目の鈴木さんである。


【エピソード】

*趣向を凝らしたステージングで観客を「楽しませて」いたオフコース。ライブでは様々なメドレーを披露していた。グラミー賞メドレー、レコード大賞メドレーなど……。

「忘れもしない、レコード大賞メドレーで「勝手にしやがれ」を演るんですよ、ヤスさんがボーカルで。小田さんが、「勝手にしやがれ」のイントロ~大野克夫さんの~をピアノで弾くのを聴いて、『小田さん(ピアノが)巧くなってる』って思った。僕はあまり練習しないんだけどそれ聴いて『これは練習しなきゃ』って(笑)」(東郷昌和)

*70年代は2組以上のアーチストが同じステージに立つ<ジョイントコンサート>が多く、アーチスト同士が刺激し合う場となっていた。その経験の「大きさ」を、彼らは今なお感じているという。


【使用楽曲】

一億の夜を超えて(鈴木康博・ライブ)※鈴木康博作詞・作曲

ミセス・ロビンソン(Song for Memories:鈴木康博・山本潤子・細坪基佳)

♪空とぶプリンプリン(鈴木康博・ライブ)










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