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2020年7月17日 ゲスト・加橋かつみ(元ザ・タイガース)~後編~


【放送内容】

*加橋かつみのファーストソロアルバム「パリ・1969」は、タイトルの通り1969年にパリでレコーディングを敢行。これがきっかけとなり、加橋さんの主演(クロード芹沢とのダブルキャスト)による日本版「ヘアー」の上演が年内に実現する。


*「ヘアー」はその後音楽を始めとする日本のエンターテイメントの拡がりの母体の1つとも言える。キャスト・ミュージシャン・スタッフ、そして観客からも、のちに音楽や演劇、また様々なメディアへ何人も進出していった。70年代に入り日本歌謡界のスターダムに登りつめるGAROの《ボーカル》こと大野真澄と《マーク》こと堀内護も、主要キャストとして加橋さんと共に「ヘアー」の舞台に立っていた。

加橋さんとGAROとはその後長きに渡り関わり合いが続く。共にコンサートのステージに立ち、1972年リリースのサードアルバム「パリII」は、収録曲の半数近くが《マーク》と《トミー》こと日高富明のペンによる。番組ではマークの作詞・作曲による「水色の世界」をお聴きいただいた。

「マークは……綺麗なメロディー創ったね」(加橋かつみ)


*GAROはその活動期に《BUZZ》ともツアーを共にしている。2013年には東郷昌和、岩沢二弓(ブレッド&バター)とマークで《Love Us All (ラバーソウル)》を結成。しかし2014年12月にマーク急逝のニュースが飛び込んでくる。

「直前にも『今ちょっと具合悪いけど、すぐまた演ろうね~』ってメール貰ってて、『待ってるよ~』って言ってたくらい、全然普通だったからね」(東郷昌和)

「マークは…ね……。……もったいないね…。繊細だからね、マークは…。ね……」(加橋かつみ)

加橋さんと昌和さんが会ったのは、翌2015年1月の「マーク追悼ライブ」だった。番組内の二人の一瞬の沈黙は、喪失の大きさをどんな言葉よりも雄弁に語っていた。



*2019年12月6日放映分、元ザ・フィンガーズ高橋信之さんの回。フィンガーズのライブに熱心に通っていた<ユーミン>こと荒井(現・松任谷)由実が作詞・作曲した「マホガニーの部屋」を、高橋さんの勧めで昌和さんがテレビ番組「ヤング720」で歌った…というエピソードが語られた。

「当時『マホガニーの部屋』というタイトルだったけど、そのまま、詞は『翳りゆく部屋』(荒井由実・1976年)になって…」(東郷昌和)




*では、曲はどこへ行ったのか。

1971年にリリースされた、加橋さんのセカンドアルバム「1971・花」からのシングルカット「愛は突然に」。番組3曲目にお聞きいただいたこの曲こそ、その少し前に高校1年の昌和さんが「ヤング720」で歌ったメロディーだった。

「それで、重なっていたのは<ユーミン>はタイガースの追っかけだったし、高橋信之さん~「ケンとメリー」を作った~がいたフィンガーズの追っかけでもあったし。そしてフィンガーズの成毛茂さんとかつみさんは仲が良かったの。みんな繋がってて、仲間なの。そのままごっそり、みんなプロになっていったので」(東郷昌和)

「時代的にすごく面白い時代だったね。外国からも毎月何だか新しいものが出てくるし」(加橋かつみ)


「愛は突然に……」(フィリップス・1971年)

編曲・玉木宏樹

「愛は突然に」(ミノルフォン・1975年)

編曲・深町純



*「1971・花」から「パリII」の頃にかけて、加橋さんの音楽活動もフォークのフィールド上に移ってくる。主なところでは前述のGAROとのジョイント(1971年12月27日・大阪サンケイホールなど)の他、番組では「五つの赤い風船リサイタル」(1971年4月1~4日・神田共立講堂)「第4回・日本語のふぉーくとろっくのコンサート」(1972年5月14日・日比谷野音)などを紹介した。いずれも今出演者リストをみると、豪華な顔ぶれに驚くばかりである。

また《はっぴいえんど》のライブ音源集の中に、1971年4月14日に東京サンケイホールにて行われた「加橋かつみコンサート」にゲスト出演した折のものが収録されている。残念ながら加橋さん自身は、「憶えてないなぁ…50年も前の話だよ」と大笑いしていたが。



1971年4月1日~4月4日神田共立講堂「五つの赤い風船リサイタル」

出演者…遠藤賢司/高田渡/加橋かつみ/長谷川きよし/はっぴいえんど/はしだのりひこ&クライマックス/他



1972年5月14日日比谷野音

「第4回・日本語のふぉーくとろっくのコンサート」

出演者…モップス/かまやつひろし/加橋かつみ/町田義人/南こうせつとかぐや姫/RCサクセション/遠藤賢司/はっぴいえんど/クニ河内/成田賢/ガロ/頭脳警察/武蔵野タンポポ団/小坂忠/五輪真弓/エム/中川五郎






*少年時代に加橋さんが思い描いていた進路は、当初は音楽ではなかった。

「本当は僕、高校1年くらいの時は美大へ行きたいと思っていた。バンドなんてやる気はさらさらなかった。単なる趣味でやってただけなんだけど……」(加橋かつみ)

加橋さんは、グラフィックデザイナーを志望していた。現在親交のある横尾忠則氏のような仕事が、当初の目指す姿だった。その選択肢はいかにして消えたのか。

「ビートルズ観ちゃったからねぇ。あれを観なければ……(笑)」(加橋かつみ)


*2015年9月に開催された、アルファ・ミュージック・ライブ。作曲家・村井邦彦氏の古稀を記念し開催されたこのコンサート、オープニングシンガーを務めたのが加橋さんだった。曲目は「愛は突然に」そして「花の世界」。アルバム「パリ・1969」の1曲目に配された「花の世界」は《ソロシンガー・加橋かつみ》のデビューシングルになった。番組では、ソロ活動の出発点ともいえるパリでのスナップ、そして近作を含む絵画・イラストを背景に、この曲をクロージングナンバーとしてお聴きいただいた。今後の展望を問われ「うーん、どうしていけばいいかしら?」といたずらっぽく笑う加橋さんだが、既にその瞳は新たな色の世界を映し始めている、とお見受けした。






【エピソード】

「『ヘアー』には、僕の当時の仲間たちが一杯出ていて、そこで既にかつみさんと繋がっていたんですよ」(東郷昌和)

当番組にも出演いただいた小坂忠・柳田ヒロ(以上元フローラル)の他、前述の高橋信之氏(元フィンガーズ)はスタッフとして「ヘアー」の現場を支えていた。いずれも昌和さんが中学生だったころからの仲間である。




*前回(2020年7月3日)放送分の冒頭「雨上がりと僕」の背景でご覧いただいたのは、1969年に(限定)出版された加橋さんのイラスト集「Yves(イブ)」で発表された作品の一部。ビートルズを「観ちゃった」ためにグラフィックデザイナーへの道を手放し音楽へと歩んだ加橋さんだったが、音楽での成功がその才を生かす場を引き寄せることとなった。

*ソロアルバム3作目の「パリII」はジャケット画を加橋さんが手掛けた。白猫のモデルは、当時の愛猫《モモヨ》。加橋画伯の次作も気になるところだが、絵を描き始めると夜更かしになり、趣味のゴルフのため早起きする最近は、絵はお休み中だとか……。





【使用楽曲】

フレッシュ・フェイリュア~輝け太陽~(ミュージカル「ヘアー」日本版オリジナル・キャスト・1969年)

水色の世界(加橋かつみ・1972年)堀内麻九(堀内護)作詞・作曲 

愛は突然に(加橋かつみ・1971年)加橋かつみ作詞・荒井由実作曲

花の世界(加橋かつみ・1969年)加橋かつみ作詞・村井邦彦作曲







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