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2019年9月6日 ゲスト・大野真澄(元GARO)~前編~


【放送内容】


*1956年にリリースされ、世界各国でヒットチャートを席捲したジーン・ヴィンセントの名曲「ビー・バップ・ア・ルーラ」。当時この曲に魅せられた人は数知れず、その中には英国・リヴァプールのハイスクールに通うジョン・レノン、そして愛知県岡崎市の小学3年生、大野真澄もいた。

*小学校高学年になると、TVの人気番組「ザ・ヒットパレード」を通じて<アメリカン・ポップス>に親しんでいく。坂本九を始めとする人気歌手たちが番組で歌うのは、アメリカン・ポップスに日本語詞をあてたものが主だった。


*1964年1月31日、大野さん中学2年の冬に事件は起きる。姉の影響で聴き始め、ランキングを記録していたラジオ番組「キャンディ・ベスト・ヒット・パレード」。この日の1位は「ワシントン広場の夜は更けて」(ヴィレッジ・ストンパーズ)。そして19位が「プリーズ・プリーズ・ミー」(ビートルズ)だった。

「アメリカン・ポップスの時代ですよ。そこにこの『プリーズ・プリーズ・ミー』が出てきて。何だこれ⁈…って思った。今まで聴いて来た洋楽~アメリカン・ポップス~とは全く違うものが出て来て、とんでもないものが出て来たな!って」(大野真澄)

*「プリーズ・プリーズ・ミー」は翌週に6位に浮上。程なく「抱きしめたい」もチャートに上がってくる。

「もう他(の歌手の曲)が耳に入らないくらい。一耳聴きで、とんでもない音楽が入って来た。度肝を抜かれたというか。全く別モノだな、これからは『これ』って思っちゃったの」(大野真澄)

全く顔がわからない《ビートルズ》。ラジオからの音のみで大野さんはビートルズに傾倒して行き、3月に入って手にした雑誌「ミュージックライフ」4月号で初めてこの4人組の「顔」を見る。

*高校時代は一宮のゴーゴー・クラブでバンド活動。卒業後進学のため上京、1969年にミュージカル「ヘアー」に出演。のちに《GARO》で活動を共にする堀内護もこのミュージカルの共演者だった。尚、2009年に当時の出演者が集まり「同窓会」を行ったのをきっかけに、2010年~2011年に主演の加橋かつみ主導で「ヘアー1969ライブ」が計3回4公演開催された。

*そして、マークこと堀内護とトミーこと日高富明とともに《GARO》としてデビュー。既存のフォークグループのスタイルの枠に収まらないステージパフォーマンスを見せるトミーとマーク、そんな二人に内心時々首をかしげるボーカルこと大野さんの3人は、次第に日本のポピュラー音楽界の中心へと歩みを進めていく……。(後編へ)



【エピソード】

*東京での活動は1968年、セツ・モードセミナーへの入学に始まる。クラスメイト達はなぜか「ジョニー」「ソクラテス」etc.……と横文字のあだ名でお互いを呼び合う。その中で唯一「大野」と呼ばれていた彼に、とあるクラスメイトが「バンドやってたらしいね。(パートは)何やってたの?」「ボーカルだけど」。次の日から周りの皆が大野さんを「ボーカル」と呼び始め、そのニックネームは今に至る。


【使用楽曲】

♪学生街の喫茶店(ガロ・1973年横須賀文化会館ライブ)

※サポートメンバー:柳田ヒロ、チト河内、後藤次利、矢島賢

♪ワシントン広場の夜は更けて(ヴィレッジ・ストンパーズ)

プリーズ・プリーズ・ミー(ビートルズ)














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